坂上 田村麻呂
坂上 田村麻呂
坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。
父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。
忠臣として名高く、桓武天皇に重用されて、軍事と造作を支えた一人であり、桓武朝では二度にわたり征夷大将軍を勤める。蝦夷征討に功績を残し、
薬子の変では大納言へ昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。
現在は武芸の神として親しまれ、多くの伝説、物語を生んだ。
上記が歴史書に書かれている彼の経歴である。
この人物は苅田麻呂の子というのは間違いないが、百済系という説もある。
藤原氏に命令され、征東将軍となって東北の我ら日本原住民の御祖先様をば討った相手なのである。
それなのに、今では庶民が、知らずに五月人形の鍾馗さまとして祀っている。
青森のねぶた祭りでは、地元の企業がスポンサーになって田村麻呂の巨大な提灯が練り歩いている。
こうした歴史の真実をを知らずに地元の人たちは「ねぶた(根蓋)祭」として盛大に祭っている。
しかし彼は、原住民を殺し、「根(死)の国へ行け」とばかり穴を掘って埋め、その上に蓋をして、殺した家族に踏み固めさせるという残酷な仕打ちをさせている。
だから現在のねぶた踊りも、「はねこ」という踊り手たちは、遠慮するような、躊躇するような踊りになっている。
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